「ハロー 城後です」
 「あー、城後さん今どこー、いつ来たの?」
 「今朝チェンマイに着きました」
 「じょーごさん、じょーごさんのケヌー(カヌー)は何色?」
 「??赤ですけど??」
 「私ねー、ユイちゃんとじょーごさんのケヌーはは何色か賭てるの。私はオレンジ、ユイちゃんは黄色。赤とオレンジは似てると思うけどどーかなー、ねーねー似てるよね?」
 「・・・(おいおい)・・」

 慌ただしく日本を飛び出してきた僕はなかなかタイに来た実感がなかった。でもこの電話一本で一気に気持ちが切り替わった。ああタイに来たのだと。

初めてタイを訪れた時、バンコクでチャオプラヤー(メナム)川を見た。大きな川だなと思ったがけしてカヌーで下る魅力は感じなかった。でも2日後バンコクから北に80kmにある旧都アユタヤに行って考えがころっと変わった。アユタヤは1350年〜1767年まで王朝が置かれていた町で、アユタヤ自体がチャオプラヤー川とその
支流で囲まれているのだ。

 チャオプラヤー川はピン川、ヨム川、ナーン川、パーサック川と4つの大きな支流があり、チャオプラヤー川と支流の流域にはバンコク(チャクリー王朝1782〜)トンブリー、アユタヤー(1350〜1767)スコータイ(13世紀〜)チェンマイ(1239〜1556)ランプーン(11世紀〜13世紀後半)ランパーン(11世紀〜13世紀)と多くの王朝が存在した。これは日本ならば信濃川の流域に京都、奈良、鎌倉、江戸がならんでいるようなもので川と文明、文化が一体化しているのだ。

 このことに魅力を感じ、川からタイという国を見てみたいと考えた。それにはファルトツーリングが最適と思われた。計画開始から実行まで諸事情で2年間かかってしまっがなんとか川下りできるチャンスに恵まれた。。タイの川下り第一歩にはチャオプラヤー川最大支流、ピン川を選んだ。偵察の結果水量が多そうなこと(これは大間違いだったのだが)、水質が他の支流より良かったこと、旧都チェンマイからスタートできることがこの川を選んだ理由だ。




 3月22日(月) 晴

 6:30、チェンマイ市内のナワラット橋左岸から出発。ここをスタート地点にしたのは川へ取り付きがいいこと、対岸に市場があり早朝から水などの物資が手に入りやすかったからだ。朝駆けするのは日差しの弱い午前と夕方しか漕がないつもりだからだ。とにかく南国の太陽光線は殺人的に強烈だ。最初から殺人光線にはひれ伏すなのだ。

チェンマイの下流7km地点。
まだ水はある。景色はgood!




 出発してすぐ右岸にカヌーハウスを発見。日本の10年前位のシーカヤックやカンディアンカヌーが沢山置いてある。小屋の中に2人のタイ人がいた。一人はひたすらベンチプレスをしている。大声で挨拶するも無視される。筋肉系の人はどうも苦手だ。

 さて、ピン川だが景色はいいのだが水質がムチャクチャ悪いく、臭い、食用油でしょうか?、水面に油が浮いてるし、ゴミの入った袋が灯篭のようにプカプカ漂ってる。僕はチェンマイ市民に言いたい!!「油は流してはいけません!ゴミはごみ箱へ!」と。

漁師の船着き場でちょっと休憩。

 チェンマイ市外に出ると川に浮かぶ大量の水草のせいでしょうか、やや水質が良くなり機嫌が治る。

 水草だがトランプのスペードのような形の葉を水面に出しブルーと白のきれいな花をつける可愛らしいものだった。すくなくてもこの時点までは。

上陸しやすい場所はいくらでもあった。

 川に張り付くように建っている屋台小屋を発見。ちょうどお腹が空いてた。
 「おばさーーん、ご飯食べられる?」
 ギョッとしたおばさん「ご飯はないけどソバはあるよーー!」
 ご丁寧に船着き場まで完備されてる。店に入るとお決まりの質問責めにあう。
 「あれはなんだ、フネか?」「どっからきたのか」「きみは中国人か日本人か」「恋人はいるのか」「どこへ行くのか」
 一つ一つの質問に丁寧に答える。するとすいかをご馳走してくれた。日本のすいかのように甘くはないが水分が多く実に美味しい。

 帰り際におばさんに「日本にうちの娘連れて行かない?」と言われる。横には恥ずかしがっている可愛らしい娘さん。強烈な冗談だ。クールに「残念だけど出来ないよ」と答える。僕は熟女が好みなのだ。

 川の流れはほとんどない。ひたすら漕ぎ進むがだんだん日差しが強くなってくる。そろそろ上陸して日差しを避けて休憩しようと思っているとすぐにちょうどいい東屋がみえた。「どうぞ昼寝していって下さい」とばかりに建っている。岸には竹製の船着き場まである。さっきの屋台にしろなんか出来過ぎだなと思う。

 遠慮なく3時間ほど昼寝させてもらった。


 今回のツーリングは情報も少ないし、ワイルドなものになるだろうと考えていた。しかしご飯は作らなくていいし、水も食堂で手にはいるし、休む場所はいくらでもあるし、木製の平底カヌーに乗った川漁師が必要な川の注意を与えてくれる。

 そうなんだ、川とタイの人達の生活スペースがものすごく近いのだ。彼らは川にへばり付くように生きている。そんな彼らの生活スペースを利用させてもらいながら僕はツーリングしていたのだ。タイのみんなは日本からの変な来訪者をここよ良く迎えてくれる・・。

 日差しが弱くなったのを見計らって出発、すぐにナムローン村の大堰が見えてきた。堰のずっと手前の右岸の畔にまたしても屋台。「ここゲヌー(カヌー)船で進めるかなー?」「ダメダメーーここから上がりなさーーい」との返事。でも屋台と堰は1kmぐらい離れてる。さすがに1kmのポーテージはきついので堰に近づいたが500m手前で前進を阻まれた。水面からニョキニョキ生えている水草が川面全面をおおい進めないのだ。さっきまで風流に見えた水草が今度は恨めしく見える。岸にも水草いっぱいで上陸不可。しかたなく屋台まで戻った。

 屋台のおじさんの名はムラさん。さっそく冷たい水を出してくれて質問攻撃を受けた。その内来るお客さん全部に僕の事を紹介し出した。お客さんも楽しそうに「この下流は水がないからダメだよ」「一人では危険だよ」「僕はチェンマイに帰るから一緒に行こう、そのまま僕の家に泊まりなよ」などという。

 ムラさんが僕に「どこまで行くの?」と聞いた。迷わず「バンコク(クルンテープ意味は天使の都)まで」と答えた。ムラさんは目を白黒させていた。

 実際このままバンコクまで下っていくつもりはなかった。ピン川の途中に大きなダムが3つあり、その内いちばん下流に位置する世界でも有数の規模を誇るプミポンダムだ。この区間はツーリングには不向きと考え、ダム域に入る前にあるチェンマイ下流125kmに位置するワンルングマイ町でツーリングを中止するつもりだ。そして次の機会にプミポンダム下流にあるタークからまたツーリングを開始しバンコクを目指すするといのが当初の計画なのだ。だからバンコクまで行くと言っても嘘ではない。

 さっきからムラさんを見てるとお客さんや僕と馬鹿話をして楽しそう。でも店の仕事はいっさいしてない まめまめしく働いているのは奥さんだけだ。ムラさん、働きなよ。

 この堰のポーテージはムラさんが車を出してくれて、カヌーを車の上に乗せて移動した。ムラさんありがとう。


 堰下には、よかった水があった。水草もたくさんありその隙間をスラロームよろしくクネクネ進んで行く。まるで巨大な水槽のなかを漕いでいる気分だ。この辺りから一段と水質が良くなる。水草が水を浄化するのか?。

 ライドン村にいいキャンプスペースを見つけた。雑木林だ。ここで一泊することにした。



 3月23日(火)晴

 薄暗いうちに目覚めた。誰もいないのですっ裸で水浴&水泳。昨日は何人も水遊びをしている子供達にあった。タイ人は泳ぎが下手だと聞いていたがけっこう上手に泳いでいた。でも「何してるの?」と聞くと必ず「水浴び」と答える。泳いでいるという自覚がないのかなぁ。

 昨日から気になっていたがピン川は下れば下るほど水が減ってくる。スタート地点に比べ川幅で1/4、水量も1/6になっているだろう。逆に水はどんどんきれいになる。日本の川とは逆だ。

 手早く朝食を済ませ出発。2kmも進まないうちに、信じられない、川全面が水草におおわれ進めない。別に堰も見えないし地図にその記載もない。川漁師さんが「ここは無理だよ」という。

 ひとまず上陸して下流に向かい歩く。ずっとずっと水草水草。水草水田みたいだ。1kmも先に堰を見つけた。

主に堰堤に水草がたまっている。
ひどい時は1km以上のボーテージをしいられた。

 堰下を見た。僕はツーリングを中止しようと決めた。水は全くなかったからだ。昨日から気付いていたが、ピン川流域は大田園地帯だ。タイは農業国で数少ない米輸出国でもある。川の水をどんどん農業取水してしまうのだ。しかも今は乾季。ただでさえ川の水は少ない。

 25km進んで来て5つの堰がありその内4つをポーテージした。そのうち地図に記載されていたのは1つだけ。この先100kmの間に地図上だけでも堰は4つ、実際は・・(^^:。

 ツーリングの時期、それとスタート地点の選定が甘かったのだ。

 泣く泣くフネを畳んだ。

 ツーリング的には失敗だったがいろいろな経験ができて満足だった。多くのタイの人々に助けられた。彼らの生活がみれた。それだけで大収穫。チェンマイに引き返す事にした。

 さて、つぎはどこに行こうかな。向かってくる車に親指を突き立てた。

                             おしまい

                            1999/4/7

                             城後岳弘