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どこをどうつっついて、津軽に挑むことになったかが、いまひとつ覚えてない。
ただ、2000年ののっぽさんのレポートを見ていてこれは絶対そのうち参加しなくては、と、思っていた。
今回、その津軽の募集が始まり、これでこのイベントはもう最後になるかもしれない、といわれると、いてもたってもいられなくなってしまう。
しかも、最近子供の世話モードですっかりカヌーとご無沙汰になっている筈なのに、タイミングを図ったかのように嫁さんと子供達が田舎に帰っていて、どこにカヌーに行っても文句を言われないという時期に津軽海峡横断の日程があたっていたので、もののみごとに、阻害要因がなくなっていたのである。まさか、参加しないわけには行かない。これは。
あとは、仕事の都合だが、なんとなかるだろう、と、はやばやと年休宣言。

しかし、本当を言ってしまうと、私のシーカヤックの経験は川にはとうてい及ばない。
それに、もちろん、私のカヌーはばりばり川用で、ラダーなんかついていない。どーしようかあ、と、悩んでサイトに書き込んだら、一大論争が起こってしまった。結論は、「ラダーは必要だ」であった。
うーむ、ラダー買うかなあ。と、悩みかけたところへ、ようちゃんが貸してくれるとありがたいお言葉。それはラッキー、貸してくれる予定のファルホーク用のラダーの形状をミナミで確認。清水さんに現物を見せてもらうが、またがっくしきた。どーみても付きそうもない形状である。じゃあ、カナールの純正のラダーつける?と、見せられたラダーは、万力のようなパーツで船体布に喰わせて固定しているラダー。うーーーーーん、と、悩み込んでしまった。しかも、見せられたペダルは、足にベルクロで巻き付けるタイプ。シーカヤックに付いているような、ペダル式でひょいひょい動かせるようなやつを勝手に想像していた私はがくぜんとしてしまった。おいおい。沈したらどーなるんやねん。足がひっかかって脱沈ができなかったらどうする。
私の結論、「いつもと違うことはしない」
ラダーにはかなり未練はあったが、いっつもと違うスタイルをとったほうが調子を狂わせる。できるだけ、いつもの延長線上に津軽海峡横断があるようにした方が、コンデション的にはうまくいくんじゃあないかなあと、思っていた。

さすがに、体力には自信がない。いちおう毎日腕立て伏せをやってはいたけど、ジムに通っているのっぽさんに比べればやっていないと同じである。
津軽に向けて、3週前に芦ノ湖に行くも、霧でカヌーを出せず、のっぽさんの津軽海峡体験談の講釈大会になった。これはこれで津軽の経験をききさんと一緒に聞けたので役に立ったが。
その翌週、お台場でカヌーをひさびさに漕ぐも、2往復で息切れ。だいじょうぶかいなあ。もちろんその前に、eボートを全力疾走で漕いだりしているのですけどね。

募るのは不安ばかりかな。やめときゃよかったかなあ、やっぱりラダーは要ったかなあ。
いよいよ津軽海峡の前の週、三浦半島に予行演習。ここで自信を取り戻した。のっぽさんも、ききさんも、ふたり艇を漕いでいた。二人艇の横幅はとうぜん一人艇より太いので、普通に漕いでいれば一人艇の方が早いのだ。ひさびさの外海で、出港直後は波にもまれて酔うかと思ったけど、あっさり慣れることができた。沈脱の練習もうまくいった。最近沈脱なんかしていないけど、うちのカナールなら、面倒なことをしなくても横からよいしょとあがることができるのである。ファルトボートの威力だ。安定性が違う。のっぽさんはあんましうまくいかなくて、艇を水船にしていたが。。。。
さらに、カヌーに乗ったままでのトイレの練習。そのためにちっちゃなバケツ(子供の水遊び用のを借用してきた)を用意した。トイレをしているときに絶えず、まわりをみまわしていないと、妙なところに連れて行かれてこまるという問題はあったが、なんとかなりそうである。このときは、気が付いたら岩礁のちかくに艇が寄っていて怖い思いをしたんですけど。。

そうこうしているうちに、あっというまに津軽海峡の日がやってきた。

■布一枚下は・・・
2002年8月2日土曜日。
私の実家が東北道の久喜のそばなので、ここに一週間前から車を置いておいて、会社からこちらに帰ってくる。ここを出発点にする。しかし、同乗する予定ののっぽさんのフェアレディZは都内の渋滞に思いっきり引っかかっていた。
おかげで、じっくり食事と風呂に入れてしまった。
私の母親は千葉県は銚子、漁師町の出身である。「漁師は板一枚下は地獄だっていうけどねえ。あんたのふねはそれよりもっとすごいわよね」うーん、言い得て妙なり。うちのファルトボートは布一枚下は地獄だ。布一枚下に地獄を感じながら、津軽海峡わたれるものなのかいな。
そうこうしているうちに、のっぽさんがやってきた。ここで荷物を積み替えて、のっぽさんのZを実家に預けて走り出す。
結局、7時に出発予定だったのが、でたのは9時であった。

途中、ききさんに連絡をとってみると、きき、こみてつさんのペアは、10時に松戸を出るという。
夜になって確認してみると、私たちよりも170キロほど後ろをはしっていた。が、夜中2時に、私が眠いとさわいで、サービスエリアでこちらは仮眠。1時間位した3じごろ、私の寝ぼけたあたまのうえで会話が聞こえた。ききさんと、こみてつさんが横に到着したらしい。しかし、起きられなかったので私は寝ていた。きき、こみてつさんは、のっぽさんに挨拶して、そのまま走り去ったらしい。
のっぽさんが寝ていられなくなって4時に起床・再出発。
ぱらぱら降る小雨のなかを走り続け、現地小泊村には8時到着。きき、こみてつペアと、やぎさわさんだけが到着していた。朝早いせいか、やたら静かな漁村である。港町の匂いが村中に充満していた。

で、とにかく早く組み立てたというのっぽさんの意向で、出艇場所のスロープに行く。
スロープは、船の修理場所のデッキであり、そのスロープに引かれた線路の上の台車に漁船が乗ってあがってくるところであった。ばりばり作業中のスロープの脇でファルトボートを組み立てはじめる。
ぽから、のっぽ、ききはファルト組み立て作業、こみてつさんは眠くなってしまったのか車の中で眠りはじめた。
私のファルトボートはラダーを付ける作業に時間がかかるわけでなく、シートの調整等の作業は先週の三浦半島でやってきてしまったので、あっさり組み立てが終わってしまい、暇。

そのうち、だんだんと参加者が集まりはじめる。バスで来たという@neさんが着いたのが11じごろでしょうか。
12時になるとファルト組もほとんど到着してあちこちで艇を組み立てていた。シーカヤックの人はスロープに艇を並べていった。壮観。何艇あるんだ。
ファルトボートは、フェザークラフトカフナ、フジタカヌー、ボイジャー、カナール、さまざまな艇が色とりどりに並んでいたが、どーも、フェザークラフトの占有比率が高いようである。なんか、みんなファルトと言ってもロールスロイス持っているのね。みんな、このためにスケッグを付けたり、野遊びおじさんは青森のこいずみさんから教授してもらった手でおろせるタイプのスケッグを自作していたり、いろいろ工夫があって見ていて面白かった。

12時、漁港の反対側の定食屋で、うに丼で昼食。
食後に港の岸壁に登って、明日たどるべきコースに目を凝らす。ここは、竜飛岬方面と権現岬の方面に岬が伸びでいる。あしたは、海流の関係で西方向、権現岬を目指すそうだ。海流にどんどん流されていくので、西を向いて漕いでいれば、そのうち対岸に着くとのことである。

船検が16時だと言っていた。15時頃に私が自分のファルトをスロープに運ぶと、スタッフの人がやってきた。お、船検?と、思うまもなく会話。「これ浮力体入っていますね」「はい」「はい。ではOKです。船検おわりです」へ?おいおい、あっさりしているものである。「あのお、それだけでいいんですかあ」「はい、船長が入っていると言えばOKです」そういう基準なんだ。うーむ。けっきょく、船検は、ファルトボートだけを検査したそうでリジットは船検無し。それも、ファルトは組あがった順なので、全艇は調べていないんじゃあないかと思った。
17時から、ミーティング。まずは旅館に車を置いてから、さっき受付をしたこまどり館に徒歩で行く。たいした距離でないし、飲むためには車を置かなくては。ミーティングなので室内かと思ったら、はじめから野外に案内された。駐車場に机とイスが並んでいて、机にはコンロがあって炭が入っていた。バーベキューモードである。イカの一夜干しがたくさんつるされた奴がくるくる回っていた。

さすがに、すぐには食事にならずに、いちおうの注意事項を聞く、
いわく、伴走船は、みなさんをはさむように船団を組む。もしも洋上撤収の時には、ファルトは最後に、はじめに漁船に乗せるとシーカヤックにつぶされるから。昼食は11時に専門の食料艇が配布する。鮫がいるので海には降りないでくださいね。帰路、ファルトは畳む必要があります。向こうに到着したら30分で畳んでください(ええーーっつ、と思った)完走証明書は旅館で渡します、Tシャツは後日。入港時に写真を撮る予定です。などなど。
たいした質問があがるわけでなく、次に村長の挨拶。「これから町村合併とかありますが、ぜひともこのイベントは続けていきたいと思います」おいおい、最後じゃなかったのかい。一部の人間が清水さんを見る、清水氏は苦笑いをしていた。村長の話の後に乾杯。

バーベキューだったが、うちのテーブルの炭の火がつかなくて苦労していました。結局のっぽさんのバーナーで火を付けた。
生イカ、一夜干し、ほっけ、さざえ、つぶ貝、ジンギスカンの肉、海老、そして、おにぎりに、やきそば、もろもろ。みんなおいしゅううございました。とくに、イカがあがるだけあって、イカは一夜干しも生イカもおいしかった。

そのあと、夜遅くに、なんとかという青森出身の歌手が来るといっていたのだが、そのまえにきりあげて、我々ははやめに旅館に帰ってきた。あしたは4時半起きなので、21時就寝。酔っぱらうと寝る時間は早い。
とっとと眠れてラッキー、と、思っていたのですが、そーはいかなかった。
夜中に、同室の方のいびきで起こされる。寝る前に「私いびきすごいんですよお」と言われていたのですが、先に寝ていれば大丈夫と思って、たかをくくっていた。そうはいかなかった。
目がさめたら最後、耳にティッシュで栓をしようが、ふとんをかぶろうが、むこうにふとんをかぶせようが、全く眠れず。眠れないことにあせってまた目が醒めてくる。そうこうしているうちに、外に雨音。けっこう強い。明日本当に出るのかなあ。
なんだかんだと3時間くらい寝付かれないで起きていたようだ。睡眠導入剤は必須かもしれません。