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■北海道にて

漁船は、エンジンをうならせながら走っていったが、まわりの海はさっきと同様に波が高いままであった。シーカヤック乗りにはたいしたことない波なのかもしれないが、すくなくとも、その波の状態は、北海道の近くまで同じように見えた。
遠くに見えている北海道はなかなか近くに見えて来なかったが、ついに、家がはっきり見えるようになり、港に入港した。このとき、はじめて、カヌーをおろして再スタートできるところはなかったということに気が付いた。

漁船がたどりついた岸壁にファルトボートを降ろす。とりあえず、弁当がみんなに配られた。ファルトボートを途中までばらして、乾かしつつ、お食事となった。弁当はおにぎりのパック、卵焼きのパック、そして、バナナ一本とカンのお茶二本。これって、船上でうけわたしできたのかなあ、と、今となっては必要のない心配をする。一人分がビニールに入っているわけでもないので、ばらばら撒いたらけっこう時間がかかっただろうに。
夏の日差しは高かった。ファルトはあっという間に乾いてきた。作業しているうちに、ホテルのバスが来て、シーカヤックな人たちを乗せていった。

ファルトを漁船に積み込むと、そのまま本州に帰ってしまう数人の参加者を一緒に乗せて伴走船の船団は北海道を後にしていった。

ホテルのバスに乗って小一時間走ると、ホテル、というより旅館に着いた。食事は6時とのこと。まだ2時で、えらい時間があった。とにもかくにも部屋に荷物を放り込むと温泉。ざんねんながら、肩はかなり筋肉疲労モードであった。
それから、コンビニでビールを買って旅館の裏手にある松前城にのぼる。おもいっきりコンクリート作りの再建されたお城であった。城のまえの広場に清水さん一派がたまっていた。これにくわわって、しばし、雑談。このへんから、みんなの話をつなぎあわせて状況がだんだん見えてきた。

夜、旅館でお食事。越智さんの挨拶はほとんど一瞬で終わった。となりで、何か言ってやろうと待ちかまえていたのっぽさんはあきらかに肩すかしになったようであった。

朝は7時に旅館のバスに乗って出発、矢古内という、いかにも、田舎、という駅でみんな降ろされて、めいめい切符を買ってホームに降りる。ファルトの一団は向こう側のホームへ行った。聞けばこれから北海道の川を下るんだと。まずは千歳川だそうで。いいなあ、やっぱり川に行きたいや。
ホームで待って、来た列車はやっぱりドラえもん列車であった。本当にドラえもんが描いてあるんですねえ。

海峡線はどんどん下っていった。さっき海の上をわたってきたところを海の下から通るとは、妙な気分である。一番深いところでは、ききさんの持っている気圧計つきの腕時計が1040ミリバールを示していた。地上では1000くらいだったはずである。
蟹田駅で下車、それからバスで延々。海の上をいったほうが早いようである。11時、小泊到着。シーカヤックとファルトボートが陸揚げされた魚のように並べられていた。ファルトの袋も、いっしょに持っていってもらった防水袋も、塩をかぶっていた。うーむ、この上からビニールで防御する必要があったのかね。

最後に、スタッフの方にうちのHPのアドレスを配って、小泊をあとにした。
私はのっぽさんと、田縁さんと、竜飛岬にむかった。津軽海峡がひろがっていた。ほんとうに広かった。よくこんなところを行ったものである。向こうに権現崎もうっすら見えていた。権現崎と、竜飛岬がおなじような距離に見えた撤収地点、それをかざしてみたが、どうみてもひろいひろい海のど真ん中である。あたりまえだけど。

その日、そのまま青森に行き、まだエネルギーの余っているぽから、のっぽ、田縁、@neの4人は、浴衣レンタルをしてねぶた祭りに参加して「ヤッセラーヤッセラー」のかけ声と共に跳ねていました。これはこれで、非常に楽しい経験でした。