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起床30分前、私は目を覚ました。何の不思議はない。神経が高ぶっていたからでも、隣人のいびきがうるさかったからでもない。目覚ましをセットしてあったのだ。よく考えればわかることだが、5時に起きて、6時に長距離ツーリングに出発できるものではない。限られたトイレや洗面所を考えれば、起きてしゃんとできるまでに10分、着替えや装備のチェックに10分、手早く荷物をまとめるのに、また10分、朝食に15分、港までの移動に10分、船のセッティングを確認して出艇するまで15分。だからこそ、私は5時半までには宿を出たかった。6時15分前には港についていたかった。そうするためには6時には飯を食べにおりなければならなかった。
この時点で雨が強く降っていた。私は雨が朝だけという天気予報の情報を持っていたので、出艇は間違いないと踏んでいた。しかし、そうは思えなかった人もいたのかもしれない。雨ということは船に水が入っている可能性がある。より早く出なければならない。案の定船の中には水がたまっていた。手伝ってもらって水を出す。そんなことをしているともう6時を回っていた。
しかし、トラメすらない状況で、指揮を取るものもいなかった。いったいどうして、スタートしないのか不思議でならなかった。すると、私を指差して、代表で挨拶をしろという。そんな話は聞いていない。誰か別の人だろう、というと別の人を指す。状況がまったくわからない。そういう段取りがあるならあるでなぜミーティングのときに言わないのだろう。前回の宣誓も聞こえなかったが、今回の挨拶もまったく聞こえなかった。前日銅鑼が行方不明、という話をしていたが、銅鑼よりトラメだろう。声を増幅しないで聞こえるほど波の音は静かではない。
どこからか現れた銅鑼が鳴った。第一回からの伝統は、これで絶やされることがなくなった。数年に一回使用されるだけの銅鑼はどこから発掘されたのだろうか。全艇いっせいに走り出す。あっという間に取り残される。なにより塩島パドルではスピードが出ない。やはりブレードが広いもので無ければダメだ。前回のパドルに取り替える。そんなことをやっていると、もうびりっけつだ。今回は、このボイジャー450がもっともボリュームがある部類だ。ききさんのノーティレイ二人艇ももっとハイボリュームに映るが。
しかし、津軽は技量のないものにとってはハイボリュームな船に限る。安定性は一番の力だ。まず安定できないことには前に進めはしない。レイドIIで出場したい、と言った初心者には、だからこそ「大丈夫」と言った。まさかベルーガを新たに買うとは思いもしなかった。今度も私はベルーガを貸してくれるといってもはっきり断っただろう。狭いフネでは8時間耐えられない。安定の悪いフネでは、潮目は乗り切れない。
ファルトに限らず、シーカヤックでも、沈脱したらゲームオーバーだ。再上艇してもう一度漕ぎ出す芸当はできはしない。なるほど、可能かもしれない。やった人もいる。しかし、水の中で泳ぐ時間が長ければ、体力は加速度的に消耗する。いったん味わった絶望感で気力はもげる。さらに、体が冷えることで動きが鈍くなる。
沈脱しないためにはロールを覚えること、だ。しかしそれも容易ではない。波が次々と崩れるような状況で、ロールの練習をすること自体が容易ではないからだ。たいていのロール講習会は、そのような厳しい自体を想定していない。そして、練習しようにも、なかなかそういう天候的にそういう状況になることがない。津軽海峡の潮目でのロール練習におあつらえむきの、陸に近い環境なんて、そうは存在しないのだ。そしてそうしたこと自体、私には縁遠い話だ。
沈脱しないためのもうひとつの方法は、安定したフネにきちんとしたセッティングで乗ることだ。もちろん体重移動やパドル操作は必要だ。幅の広いフネでも横幅を食らうと簡単に倒れる。だから波と平行にならないように、フネの向きをコントロールする必要はある。漁船と違って、キールが大きくはないから復元力は弱い。ある程度荷物を積んでおくことも必要かもしれない。
こうしてスピードは犠牲になるが、安定性のよい船で転覆に対する安全のマージンを稼ぐことにより、熟練度が低くても、海峡横断にチャレンジできると私は考えたのだ。前回は、まったく何も考えず、ただ自分のフネで出たい、ということだったが、今回は知恵を絞ったつもりだった。だからこそ、波が立って、フネをコントロールするのに精一杯だった状況の人たちに、私ときき氏は追いつくことができたのだ。そして、これからが、この幅広のフネの本領発揮、というときに、トライアルは突如中止になったのだ。
今回は非常につまらない航海だった。なにせ、スタートのスピードが速すぎた。おそらく先頭は、スプリントレース並み、時速12キロくらいは出ていただろう。あっという間にいなくなった。小さな港の短い突堤までわずか数百メートル進んだところで、40艇の集団は、完全に縦一列になってしまった。奄美のレースなどとまったく同じ状況である。これだけばらけてしまうとおもしろくもなんともない。
塩島パドルで全速前進最高回転数で追いかけたが全然ダメ。ということは、奄美の最後のデッドヒートよりもスピードが速いということだ。そのスピードで、8時間は持つわけがない。415やほかの450に追いつけない、ということは、彼らも相当ムリをしている。パドルを替え、ラダーを降ろしてもらって、再び攻め上がる。心拍が145を越えている。つまりこれは瞬発系スポーツになっているということだ。
スタートから30分ほどして、ようやく心拍が130程度に下がってきた。それだけ速度が落ちてきたということだ。もちろん、ずっと心拍130で漕いでいるシーカヤックもいるだろう。あるいは先頭はずっとムリをしつづけているのかもしれない。いずれにしてもこのツケはあとで大きく響くだろう。先にこれだけ走ってしまうと、エネルギーの補給がうまくいかなくなる可能性が高い。
先頭は、どこにいるのか、もうまったく見えない。何しろ、全部で10隻いるはずのフネは、後方にいるはずであるものも含めて、5隻程度しか見えない。視界の中にはボイジャー3艇、ベルーガ、フジタ艇、シーカヤック1艇といったところ。私の後方には2艇ほどいるはずだが、あとのあまたのフネは、そのパドルすら見えない。これではまったく一昨年の奄美大島と状況が変わらない。退屈きわまりない。
元ちとせのコトノハを何回か歌い終えて、ようやく、ボイジャー415のひとつと並ぶことができた。少し会話をする。しかしなんだか迷惑そうだ。また取り残されてしまう。ツーリング気分というわけにはいかない。今回は最初から拾い上げの危機だ。全般に前回より速いフネばかりだ。ようやく一回だけ休憩らしきものをしているのが見えた。しかし休憩はその一回だけ、私は休むことはできなかった。先頭集団においつけもしなかったからだ。
休憩はしなかったとはいえ、エネルギーの補給は最初から行っていた。ドリンクにはクエン酸やビタミン類の粉末を追加して、エネルギー強化してある。最初のスパートで、非常に喉が渇き、すでに1.5リットル以上を飲み干していた。今回の水分の総量は7リットル、そのうちただの水は3.5リットルである。またゼリードリンクは12個積んで出ていた。その他にキャラメルを持ってきている。
時々止まって、写真を撮る。前回はこの写真を撮らなかったのが悔やまれた。撮る余裕がまったく無かったわけではなく、防水用のものを用意してこなかったからなのだ。今回はこのために防水カメラを買った。そして使い捨ての防水カメラも用意した。カメラはデッキの上に紐で止めて無造作に置いておいた。波で洗われる分には問題がない。世の中便利になったものだ。ただこのカシオ製の防水カメラは立ち上がりに異常に時間がかかる。おかげで何枚もショットを撮り逃した。思うようには写っていない。
波がだいぶはげしくなってきた。伴走船とも、前の船とも距離がある。喉も渇いた。ゼリーを食べる。その程度の余裕は問題なくある。バナナを食べろと言われれば困難だが。なかなかいいペースだ。今回は権現崎とずっと近い位置で来た、つまり真西に出ることに成功しているはずだ。前回はもう少し岬が遠くに見えた。向かい風だということもあってそうとう流されてしまったのだろう。今回は、だから問題がないのじゃないか。
しかし、波が出てきて船のコントロールに夢中になっている間、実はだいぶ北に流されていた。数少ない先頭集団が右に大きくたわんでいることからもそれはわかった。そして、方向を修正するため、こちらから見ると直角になるかのように左に向かって進むカヤックも見えた。常に船を右に見ることを意識していた私はいいポジションにいたように思うが、そうとう北に振られている参加者もいた。ミーティングが不足しすぎである。